「経営改革提案でひどい目にあった話」で書きましたが、もう解散してなくなってしまった建設コンサルタントの会社員時代に、若手代表として各部の部長に経営改革提案をして、一切受け入れられず、その後、社内でバッシングを受けた経験があります。
そして、その会社は、その後経営破たんしていったのですが。

当時は、提案を受け入れなかった部長に問題があるように思っていました。
しかし、後から考えると2点の疑問があります。

1.経営改革提案の場になぜ社長がいなかったのか
2.そもそも提案を受け入れるかどうかは、各部の部長が決めることなのか

もともと若手による経営改革研究会は、ある部長が主導し、社長のお声掛かりで始めたものでした。 研究会は発足した当時、社長より「トヨタ式経営改革、ボトムアップ~」というような経営本をいただきました。そして、社長から「若手が下から管理職をガツンと突き上げてください」と激励された記憶があります。

発足当初は、BPR委員会と名乗っていましたが、別の部署より委員会と名乗るからには社長公認か?というクレームが入り、どうしたことか、委員会の使用が不可となり、途中からBPR研究会と名乗ることになりました。建前上は、会の設立を主導した部長の個人活動組織です。
社長直々に本も頂いて激励されたのですが、公認ではない?この辺から違和感を感じていました。

そして、社長不在の管理職会議で経営改革提案を説明し、一切受け入れられず、逆に恨まれ社内でバッシングを受けた訳ですが、当時は、「俺ってかませ犬?」と感じたものです。

社長というのは、オーナー社長か雇われ社長か大きく分かれますが、オーナー社長は、会社の所有者でもあり、個人資産を担保にとられ、さらに債務の個人保証もしており、若い頃から、すべてのリスクを負ってすべてを自分で考えて決めて生きてきた人々です。トップダウンで決めていく人が多いですが、疑り深く、横柄でワンマンとか独裁という批判を受けることがあります。

一方、大企業子会社のサラリーマン社長は、優等生で、減点主義の会社でポカをせず出世に勝ち抜いた人であり、全体の意見調整に長け、ボトムアップを好みます。

その時の社長もやたらボトムアップという言葉が好きでしたが、意思決定のやり方は、部下を競わせて、提案させて、管理職の合議により決定するような手法を好みました。

当時は右肩上がり時代の価値観の時代でした。
サラリーマン社長は、みなさん勉強家で、経営本や、経営誌を読んでいます。
当時の、経営誌の内容は、トヨタ式やら、徳川家康やらで、部下に任せるとか、ボトムアップのような話で一杯でした。

経営改革研究会が社長の公認を得られなかったのも、提案の場に出席しないのも、提案を無視した管理職も叱るのも、すべては、ボトムアップ的な思考が根源にあったからだと思います。

大企業系列の子会社のサラリーマン社長は、「君臨すれども統治せず」というやつで、皆から敬われるだけの存在を好みます。
経営目標数値だけ示して具体論はなく、部下が競い合って、どんどんやってくれて、結果に対して怒ったりほめたりするだけで済むならこれほど楽なことはなことはないです。

右肩上がりの時代は、それでもなんとかなったのだと思います。
しかし、右肩下がりの時代には通用しませんでした。
多くの人は、会社の存続より、個人の利害を優先します。
部下を下につけて、さらに外注も使って業務を回すのも、営業が、各地域一人担当で、日報もなく、野放し好き勝手に仕事できるのも、役得であり、利権になってしまっているようです。
売上が減っていくから外注を使わず部下を使って内製化し、あなた自身が検討や報告書を書きなさいと言われても、今更いやなのです。それならつぶれた方がましなのです。

後から思うと、社長は、BPR研究会には、若手の不満のガス抜き目的で、トヨタ式の現場カイゼン、整理、整頓とかそんなボトムアップ的な提案を期待していたのとかと思います。
それが、全社的な経営改革提案であったため、社長も怖くて手を引いた、部長同士の権力争いの色合いが強くなってしまったということかなと考えています。

後に経営コンサルタントとして独立して、多くの会社を見ましたが、このような会社が如何に多いかがわかりました。
経営者が経営を放棄していると言えるでしょう。

経営改革において、提案は下から聞くという意味で、ボトムアップでもよいかもしれませんが、実施においては、経営者によるトップダウンでないと絶対に失敗します。
部長の合議で物事を決めるなんて経営をしていたら、痛みの伴う改革は不可能です。

会社が存続は、トップの能力次第と言えますが、あまり当時の社長を責めるつもりはありません。

当時はボトムアップや、部長による多数決の民主主義経営を良しとする風潮がありました。
また、オーナー社長のように個人資産も担保にとられ、自分や家族も個人保証人になり、さらには生命保険まで担保に取られて、リスクをとって意思決定してきた世界の人ではありません。
大企業の子会社のサラリーマン社長がトップダウンの経営をやれなかったことは無理からぬことかと思います。