経営改革提案失敗、社内バッシング~辞表提出までの思い出を書いてみます。

建設市場大縮小が進行し、会社の業績が落ち込んでいく中、二度に渡る会社生き残りのための経営改革提案も全く受け入れられず、却って社内で管理職の一部より恨まれ、生意気な若手としてバッシングを受けている中、一緒に組んで提案していた部長も退社し、私も会社に残る意味がなくなってきました。

密かに退社を決意したものの、大きな業務物件を数本担当しており、とても辞められません。年度末までに、終わらせて辞めることにしました。
辞める時は、立つ鳥跡を濁さずで、納品が終わったら即、辞表をだして、サッと辞めるつもりで、計画していました。
周りには辞める気配は見せないように注意していました。

その当時、8人の道路部の副長として、道路部の業務管理のやりたいことをやってみろと、会社の上層部より言われて、各個人の売上や利益額、操業度の見える化や相互支援の仕組みを作り、なんとか部内で実践しようとしてみました。

売上ノルマの半分も達成できない人がたくさんいたのですが、いつも「忙しい」といって、遅くまで残業しており(残業代ゼロですが)ました。かといって誰か隣の人を手伝うことはありません。
しかし、やってもやらなくても給与は同じであり、さらに仕事を入れられないように、忙しいふりをして意図的な怠業をしている人もかなりいたと思います。
また、本気で仕事をやっていたのであれば、異常に生産性が低いのでそれも問題です。

まず、部員に客観的な数値で示しました。
少し自慢になりますが、客観的な数値で言えば、8人の部の売上の4割、利益では7割近くを私が出しておりました。
それも過去3年くらいそういう傾向なのです。
自分の食い扶持分も稼げない人が多数な上、たった8人の部の道路部長は実務を一切やらず、打ち合わせ同行で日々を過ごします。これでは、会社もつぶれます。
ところが、この数値の現実を他の部員は知らないのです。

部内会議で、客観的な数値を示し、業務の情報を公開し、みんなの知恵を合わせて、一番合理的なやり方をする仕組み作りをするように呼び掛けてみました。
正直言えば、内心は、もう辞めることを決めていたので、客観的な貢献数値を提示したらみんなどんな反応するか見てみたい、ちょっとした意地悪な気持ちも交じっていたのですが、予想通り、道路部長と部員は、実に面白くなさそうで、その後も業務への関与はさせてもらえませんでした。

現実の数値を見せられて部員のプライドはズタズタだったでしょうし、みんなブラックボックスで業務は好き勝手にやりたいですからね。
道路部長などは、20歳近く年下の私が、上層部からのお墨付きで、勝手にやられてずいぶん面白くなかったことでしょう。

当時、社内でバッシングを受けておりましたが、こんなことをやっていたら嫌われるのはよくわかります。 今はそんな根性ないですね。

私としては、もう辞めるつもりでいたし、会社の存続はもはや不可能であると思っていたので、「焼け石に水、今更どうでもよいや」とすぐに諦めました。

ある時に、直属の部長による社員への個人面談がありました。
私も、辞める気配は見せずに面談を受けました。

そこで、「○○(私)の業務成績がよいのは、楽でおいしい仕事をやっているからだ」、「どうして○○(私)は、一番早く帰るのだ」など他の部員が言っていると道路部長がいうのです。
誰が言ってるのか聞くと「みんなが言っているんだよ!」と答えました。

「そもそも私への投入業務は私が決めたことではないですし、難しい仕事や大きな業務が来たらみんな逃げるじゃないですか」
「他の部員に、そういう業務ができますか?」と聞くと、
部長は「できる!」、「だからお前も安くて儲からない○○都の業務をやろう」というのです。

これには、私もムカッと来ました。
業務成績がよいのは、「楽でおいしい仕事ばかりやっている」からで、その上に、「一番早く帰ってずるい」と言われていたのです。
残業にしても、私は、平日は20時頃に帰って飲みに行ったりしていましたが、土日も朝9時には来て、18時頃までやっていたのです。
当時、ノルマの何倍もこなしていたので、業務を確実に遂行するために、マラソンランナー方式で、決して徹夜等はせず、パフォーマンスを最大化する方式を苦心していたのですが、こんな言われ方とは、さすがに腹立たしいものがありました。
他の部員たちは平日は終電までいるらしいですが、土曜日は昼頃来て、日曜日は来ない人も多かったのです。平日に遅く残るのが偉いと思っているんですね。

そこで、私は、「『楽でおいしい仕事している』と言っている人、その人の手持ち業務と、私の手持ち業務、そっくり交代しましょう」と言いました。
すると、部長は「それは困る」というのです。
じゃあ、「私もこれから○○都の業務をやります。その代わり、国交省の大きな業務がきたら別の人を担当にしてください」と言いました。
すると、「それも困る」というのです。
「え?じゃあ、私は、国交省の業務もやって、さらに○○都の業務もやれということですか」と聞くと、「そうだ!」というので、「楽でおいしい業務なんだからやってくださいよ」というと、それは困るの一点張りで、こりゃダメだと、呆れました。

そして、部に戻って、後輩に、「俺のこと『楽でおいしい仕事ばかりやっている』 といっているらしいな」「誰が言っているんだ?」と聞いてみました。

すると、「それ部長がみんなに言って廻っているんですよ」「僕にも打ち合わせに同行してきたときに、しきりに言ってきました。」というのです。

確かに、道路部長は、以前の「文句あるなら辞めろ、代わりはいくらでもいる!」と怒鳴った部長と仲が良く、私へのバッシングメンバーだったのですが、こうやって、周りの若手に吹き込んで、私と敵対させようとしていたようでした。
確かに部長に「君が成績悪いのは、大変な仕事ばかりやらされているからだ」と言われれば信じてしまうでしょうが、これじゃ会社がダメになるわけです。
当時50代のおっさんが、こんな幼稚なことを平気でやっていることに、力が抜けました。

もう、対抗する気力も起こりません。時間の無駄、いち早くこの環境を抜けないとダメだと痛感しました。

当時の、部長からしてみれば、私が辞める決意をしていることも知らないので、自分の地位を脅かす存在だったと思います。しかし、正当な手段では勝てそうにないので、こういう手に出るしかなかったのかと思います。
私としては、その後、その部長に仕返しは何もせず、この件は上層部には内密にしていました。

そんなこんなで11月になりました。技術士二次筆記試験の合格発表日です。
別の上司が、ネットで確認して、「○○(私)が合格しているぞ!」と大声でいうのです。当時33歳、会社最年少記録ということで社内では、ちょっとした騒ぎになりました。
その陰で、私の合格を知った道路部長(技術士未保有)が、「チクショー!」と叫んだそうで、それを、隣に座っている別の上司が目撃していたのです。それは、腹の底から絞り出す、魂の叫びだったそうで、その後、飲み会でネタにしていました。結局、社長にも伝わってしまい、それを聞いた社長が「男の嫉妬ほど恐ろしいものはない」、「来年度は、あいつ(部長)を降格して、○○(私)と交代する」と決めてしまったのです。

せっかく、私が、失礼な行為にも騒がないで内密にしていたのに、勝手に、一人で踊って、一人で自滅しているので、可哀そうになりました。
その部長は、しょぼくれてしまって「俺はどうなるんだろう、首になるのだろうか」と同僚に聞いていたそうなので、自覚はあったようです。

技術士二次筆記に合格後、私に対する社内の空気が変わってきたのを感じました。
それまでは全体的な反発を感じていたのですが、反発がやわらぎ、尊敬と畏怖が混じったものとなってきたように感じました。なんとなく満足感と痛快さを感じてしまいました。

そして、運命の年度末になりました。
私は、晴れて技術士合格が確定しました。このままでは、部長は降格され、これまで打ち合わせに同行して日々を過ごしていた部長は100%実務作業に戻るはずです。

しかし、業務の検査を無事終えた私は、計画通り、即辞表を出し、今後一切の引き留め交渉はしない旨を伝えました。

部長も降格を目前に控えて、まさかの展開、晴天の霹靂だったと思います。
急遽、部長降格取りやめです。
一生懸命困った顔をしていましたが、喜びを隠し切れない様子でした。
この後、会社がどうなるかも知らず、いい気なものです。

一時は、しょぼくれていた部長は、私がもう辞めるので、何をしても怖くないと思ったのか、また失礼な嫌がらせを始めるようになりました。

しかし、もう、失望が広がるだけで、怒りは沸いてきませんでした。
嫌がらせを続ける、執念がすごいです。そのエネルギーを別のものに使えば、技術士くらい合格できたかもしれないのに、人生の無駄遣いをするものです。

私は、会社への未練がない形で辞められたので、本当によかったです。

思わぬ長編書いてしまいましたが、私の経験以外の他にも、成績の良い人や出世する人を、「あいつは、おいしい仕事ばっかりやっている」とか「上層部に取り入っている」と攻撃し、自分の能力不足には全く気づいていないケースを多く見ています。
同様の苦しみを抱えている人も多いのではないでしょうか?

辞表から退職まで半年かかって疲れた話」につづく