「経営改革提案でひどい目にあった話 その3」からの続きです。結局、提案は何も受け入れられずに、経営改革提案は徒労で終わりました。
個人的には、失望が多かったのですが、この経験で、人間について、確信したことがあります。
多くの人が、自分の利害(地位や立場、仕事のやり方)が侵害されるより、会社がつぶれる方を選ぶということです。
また、理論でこれしかないということを示しても、「イメージできない、危機は信じられない」というより「信じたくないから信じない」ということです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」、「沈没船、みんなで乗れば怖くない」と言った方がよいでしょうか?
その当時、既に債務超過になりかけていたのですが、風評を恐れて社内に公表せず、管理職にも危機感がない人が多かったのです。
みんな薄々知っていたと思いますが、社員数万の大企業の関連子会社であり「うちがつぶれるわけない」、「親会社がつぶすわけない」、「つぶれたら親会社が引き取ってくれる」などと都合のよいことを考えている人もいました。
経営改革提案書ですが、部長以外マル秘となっていましたが、いつの間にか、社内で回ってしまい、他の管理職や社員にまでその内容が知るところとなってしまいました。
後輩の一人が「経営改革提案書見ました」と声をかけて来ました。感想を聞いたところ、「正に提案通りで、会社を立て直すにはそれしかないけれど、血も涙もないですね」と言われてしまいました。過酷かもしれないけどリストラしないで済む方法を提案したつもりでしたが、そういう評価になるものかと考えたりしました。
そして、その他の管理職や営業などに「あいつは、生意気だ」という話が広がり、そこから、社員全体に、あることないこと悪口が吹き込まれて、私としては、社内の居心地がかなり悪くなってきました。
普段親しくしていた人も、手のひら返しで簡単にバッシングに乗っかる人もいます。
ほんの一部の人が徒党を組み、あることないこと吹き込まれると、大部分のどっちつかずの人、若手はすぐに信じてしまいます。
始めて、社内派閥闘争的なものを味わいました。
仲の良かった同僚に、当時の話を聞くと、「当時は、上司やいろんな人に、お前の悪口を吹き込まれていて、正直、お前に反感をもっていたが、お前が辞めた後で、お前の方が正しいことがわかったよ」と言っていました。
その当時は、腹立たしさと、失望感を味わいましたが、本当に貴重な経験をしたと思っています。
「君はマネジメントを知らない」の言葉は、「おまえもな」と返したいところですが、確かに理系出身で自己流で経営本を読んでいただけで、管理職経験もなかったので、言われる通りの面もありました。
そこで、この後、マネジメントの勉強を本格的に開始し、5年ほどかけてマネジメント系資格である、中小企業診断士、技術士の総監と経営工学部門を取得することができました。
また、大手コンサルタントのマネジメント部門に転職し、国交省所管の研究所で欧米の建設マネジメント研究の研究員として働く機会もいただき、いろいろ海外に調査にいったり、とても楽しく良い経験が積めました。
さらに、その後、経営コンサルタントとして独立して今に至っているわけです。
一応マネジメントについては、専門家と呼べるレベルにはなったと思っています。
「君はマネジメントを知らない」、「文句あるなら辞めろ」と罵られた経験がなければ、ここまで、モチベーション持って努力できなかったと思います。
その上司には感謝しているくらいです。
結局、その建設コンサルタント会社は、予定通り?破滅に突き進んでいくわけですが
会社がつぶれる時は、みんなで寄ってたかって潰している感じですね。
もう、会社がなくなって10年以上経つので、もう当時のことを書いても大丈夫かと思い書いてみました。
経営改革については、ここでまだ諦めず、次のラウンド「権力闘争の恐ろしさを見た経験」に続きます。