英国のパートナーリングの概念を作った教授にインタビューするために、レディング大学というところを訪問したときのことです。

 当時の日本の国交省が「品確法を導入したのに低入札が減らないことを問題視」していることについて、教授が「行政が入札価格をコントロールできると思っているのか?」と不思議そうに質問を返してきました。

 そして考え直して「社会構造は法制度によって作られる」、「特に公共事業は、発注者は、ほぼ100%行政なので、長期的には産業を100%コントロールできる」と考えを述べました。
 この時の「社会構造は、法制度によって作られる」という言葉は、大変印象に残りました。

 公共調達制度を考える上でも、これから作る制度によって社会構造が形成されていくことを認識する必要があります。

 また、現在の日本社会や産業構造も、過去の日本の法制度や規制等が元になって形成されていることを認識することも重要です。

 法制度が社会の構造を決められるわけがない?と考える人も多いと思います。

 そこで、日本社会が形成されてきた過程と法制度の影響を考えてみたいと思います。

 

①日本の組織

まずは、日本の行政や企業の組織構造は、法制度によってどのように形作られて来たか考察します。
 日本的組織は、どこも年功序列で終身雇用を前提としています。
 ※自称実力主義で、その自覚がない企業も多いですが

 日本全国の企業が自らの意思で、年功序列になるわけありませんし、かといって、「終身雇用法」という法律があるわけではありません。
 これは、日本的な雇用契約の曖昧さから、自然発生的に形成されたと考えるべきです。

 日本では、会社に入社する時に、雇用契約書にサインはしますが、その後、昇進や異動や昇給の度に雇用契約を再締結することはなく、辞令だけで異動します。
入社10年も経てば、入社時の雇用契約内容と、職務も役職も勤務地も給与もすべてが大きく違っているのが普通です。
多くの人は、入社時22歳の雇用契約で定年(60代)まで勤めるでしょう。
また、同じ部署で同じ職務でも、毎年昇給することも当然と思っていますよね。
職務(ジョブ)は同じでも、年齢と共に給与は上がります。

 つまり、雇用契約と労働実態が乖離しており、職務、権限と責任と、その報酬額といった基本的な雇用条件は、契約上曖昧なままで、みんな働いています。
※法的根拠として、書面で「辞令と労働条件通知書」を出すように厚労省は推奨していますが

 日本にも法的には条件を満たせば「従業員の能力不足を理由として解雇」できる法律はあります。
 しかし、実際は、職務や権限と責任、報酬等を双方で合意した契約がないので、解雇要件となる能力不足を証明する客観的な方法がありません。
 どれほど注意しても無断欠勤が続く等の、重大な就業規則違反は除いて、休まず、遅れず、働かずの人を解雇することは、過去の判例的には不当解雇として企業側ほぼ負けています。
 だから企業側は、一度雇った社員が自主退職しない限りは、定年までずっと雇用し、昇進や昇給をしてあげなければなりません。

 そうなると、組織上層は「古株」が占め、出世できるどうかは、先輩に気に入られるかどうかが最重要になります。
組織にふさわしくない人を自主退職に追い込む、社内いじめ・嫌がらせも横行します。

 そして、先輩ほど偉いという組織文化が醸成されて、役所も企業も日本中どこにいっても、年功序列で終身雇用の体系になっていったのです。
 さらに社会保険制度や所得控除、退職金税制等のサラリーマン優遇制度が充実し、転職や独立等の挑戦をするほど損する社会になっていき、人材の流動性に乏しく、閉塞的で、長期停滞する村社会を醸成してきたと言えるでしょう。

 「日本型ジョブ型雇用」などが各社で導入されていますが、根本的な法制度が変わらない限り、日本的な組織は、何も変わらないと思います。

逆に、もし「毎年、雇用契約を結び直す」ことが法的に義務付けられるだけでも、現状の契約の労働実態(職務、報酬、責任等)が乖離している状況が改善され、人材の流動性が大きく高まり、長期的には社会は大きく変わるでしょう。
法制度が社会構造に与える影響の大きさが分かります。

②国土構造への影響

欧米等の先進国に行って、河川等を見ると、護岸等構造物の無い自然河川が多く残されています。
 一方、日本の河川は、自然河川は、ほとんどなく、ほぼ護岸化され、堰堤やら構造物だらけです。

 海外の高速道路等を見ると、ほとんどが土工区間で、構造物(高架橋やトンネル)は少ないです。
 道路の脇や上下線の間に、大きな緑地帯(専門的には環境施設帯という)が確保されています。
 さらに土工区間は、高盛土や掘割等の高コストな構造は少なく、平坦地が舗装されているだけといった感じで、路側の排水構造物ですら、緑地帯に垂れ流しでかなり単純です。
 
 一方、日本の高速道路は、緑地帯はほぼなく、高架橋やトンネル、土工区間も掘割や高盛土、大規模法面といった感じが連続し、路面もピカピカで、宝石のようです。
 
 建設工費だけでみれば、構造区間は土工区間の何十倍もかかりますし、将来の維持補修、更新コスト負担も大きなものがあります。

 次に、インフラ投資は、経済インフラ(道路、港湾、空港等)と防災インフラ(治山、治水等)に分かれますが、経済インフラと防災インフラ(河川等)の予算比率という観点で考えてみましょう。

 過去に、経済インフラと防災インフラ(河川等)の予算比率を調べたら、他の先進国では、経済9:防災1くらいで、ほとんどが経済インフラ投資です。
 日本の場合は、3割~4割くらいは防災インフラ系の投資だったと記憶しています。
 ※災害発生等により変わる

 つまり、日本は、国民の安全を守るための防災インフラ投資に、他国に比べて膨大なコストが掛かっています。
 この問題に対して、日本の急峻な地形や、自然災害の多さ、人口密度等を理由に「仕方がない」という考えがあります。
 確かに、気候や国土的な理由が、最も大きな一因だと思います。


 ここで、法制度的な影響を考えてみましょう。

「私権と公益のどちらを優先するのか」というのは大変難しい問題で、国家によって大きく差があります。

 日本の場合、敗戦国であり、過去の歴史を踏まえて、現状は、公益より私権優先的な法体系であり、日本のインフラが、ここまで構造物だらけになる理由の一つとして、用地買収や住民の移転が難しい点があります。
 鉄道や高速道路などが、数人の地権者の反対により何年も共用が遅れることはざらです。

 日本の公共事業では、そうした問題を避けるため、なるべく山岳地を通り、構造(トンネル橋梁)でなんとか対応し道路や鉄道を開通させてきたのです。
 また、数軒の民家の先祖伝来の土地を守るために、数十億の防災インフラ投資をすることもざらです。

欧米の場合ですが、「公益優先の原則」が浸透しています。
 例えば、道路事業が議会で承認されると「公益宣言」が出されます。
 公益宣言が出ると、強制執行的に用地買収等を行うことが出来るので、事業は、日本よりはスムーズに進みます。
 ※反対派は、補償金額に対する不服等の訴訟は可能です。
 
 つまり日本の場合、こうした法的な制約のため、大変割高なインフラ投資や膨大な維持管理コストを強いられた上に、共用遅れによる多大な成長機会損失が生じていると言えるでしょう。
 ※建設行政や業者の責任ではありません。

③都市構造

日本の地方都市に行けば、中心市街地はどこも空洞化して、閑散とし、郊外のロードサイドに大型店舗やチェーン店が乱立し、新興住宅地も遠い郊外にあるのが普通です。

 日本の都市計画は、都市計画区域を定め、市街化区域は用途地域を設定し計画的な発展を図り、市街化調整区域は、市街化を抑制する地域となっています。
 
 しかし、地方都市では車で数10分も走れば、「都市計画区域外」です。
 そこは、用地費も安く、用途もかなり自由に使えます。

 そのため、中心市街地の再開発投資が進まず、郊外の都市計画区域外に開発投資がされ、結果として中心市街地の空洞化、ドーナツ化が進み、現在のような地方都市の活気の低下等が進んでいったと考えられます。
 面的に無秩序な都市の広がりは、行政サービス効率面で考えると、医療や上下水道、電気・ガス、教育、警察消防あらゆる面でも高コスト構造になってしまうでしょう。

 そもそもなぜ、都市近傍に「都市計画区域外」が存在するのかも理解に苦しみます。
 ※モータリゼーション以前の、移動手段が徒歩の時代のなごり?

 現在、コンパクトシティなどと言われていますが、これまでは全く逆のことを促進していたことになります。
 ある都市計画コンサルタントが、日本では戦略的でダイナミックな都市計画は、ほぼなく、都市計画のマスタープランなどは、現状追認型の計画しかないと嘆いていたのを聞いたことがあります。

④建設産業について

 日本の建設産業のイメージとして、重層下請け、談合、天下り、政治汚職、反社との関係、といった負のイメージが付きまといます。
 なぜこのようになったのか、制度による影響を考えてみます。

 日本における工事発注は、総価一括発注です。
 工事金額○○万円で落札し、請負業者は、工期までに完成しなければなりません。
 そして、お金は、工事前に前払い金4割と、完成検査終了後に残りの6割が支払われます。

 インフラの建設工事は、気候、地質、住民対応等の不確定要素(リスク)が大きいので、欧米では毎月の出来高払いが主流ですが、日本は、業者側にリスクを負わせる片務的な契約方式となっています。
 業者にリスクを負わせて、自分達は威張って、監視していればよいのであれば、行政にとって、これほど楽なことはありません。

 でも、責任を負わせた業者が、工事中に倒産したり、4割の前払い金を受け取って、ドロンということもあり得ます。
だから、行政は本当に信頼できる業者にしか発注できません。

 そこで、考えた業者選定方法が、指名競争入札と完成保証人制度です。
 つまり「行政が指名した信頼できる業者」だけが入札に参加できる。さらに、その業者に何かあった場合に備えて、完成保証人(完成を保証する別業者)を確保していないと入札に参加できないという制度です。

 この制度に対して、業者は、他の業者から孤立すると「完成保証人」が見つかりませんので、業者間の癒着が進みます。指名業者同士で、順番に受注するような受注調整(談合)が自然発生するでしょう。

 指名に入るために、業者は、政治力を使ったり、行政OBを受け入れて、行政への影響力を強化する必要もあります。

 また、新たな建設企業や他地域の企業が、入札に参加しようとしても、指名もされませんし、完成保証人も見つかりません。そのため、新規参入者は、下請けになるしか方法がありません。
 そうやって、元請けへの新規参入を阻み、日本全国で元請けの寡占化が促進していったのです。
 
 建設事業は、基本的に年度予算で、1年の中にも繁忙期と閑散期があり、また、年毎の予算変動による受注の増減があります。

 こうした変動に対して、元請け企業は、従業員を抱えれば簡単に解雇はできませんし、機材も稼働率が低くなります。そこで、固定費の変動費化のため、外注化(下請け)が進みました。
 下請け業者も、同じように変動に対応するためには、外注します。そうやって、重層の下請け構造が確立していきました。
 ※一番末端の一人親方的な人が、最も不安定な生活状態になります。

 そうやって、政官民の癒着と、重層構造的な現状の建設産業が構築されていったのです。

 これに対して、2000年代ようやく、一般競争入札の原則化や、完成保証人制度の廃止し、履行ボンドを提出したりするようになりました。
 一般競争入札の原則化に伴い、「品質確保法」が制定され、総合評価方式等が導入されていきました。

 こうした制度改革の功績はあると思いますが、建設産業が変わったのかは怪しいと思います。
 総合評価も行政の主観の入る余地もありますし、総価一括発注で、片務性もそのままです。
 だから、行政への影響力強化のために、政治や天下り等の構造は続くでしょう。
 また、雇用制度改革は、日本ではタブー視されており、結果として重層下請け構造は温存されていくと思われます。

終わりに

現状の日本の法制度の制定において、ありがちなパターンは

  • 何か問題や不祥事が起こると、特定の産業全体がバッシングを受ける
  • 監督官庁が対応策として、新たな規制や許認可、監督指導を受けるような規則を作る。行政の組織、権限が肥大化し、行政コストが増大する(→増税へ)
  • 産業界は、ますます余計な作業や事務手間増えて、生産性が低下していく

という形が多いと思います。

 上記過程の議論において、シンクタンクが作った日本と欧米各国の制度比較表でメリットデメリットを上げて評価するみたいな論法が多いですが、根本的な法制度や社会構造の成り立ちが違うのに、枝葉末節の部分だけ議論をして規制強化が進み、無駄な社会的コストだけ増えていくという感じですね。

 日本の場合、こんな感じで膨大な国家の負債を作りながら、30年間、財政出動を続けて、IT技術が進歩し世界経済が3倍以上も成長している間、ゼロ成長なってしまったのだと思います。
 
 本来、立法の仕事は、法律を作ったり、無くしたりすることです。
また、財政出動と違って「法律を作ったり、無くしたりすること」に、お金は掛かかりません。
もし、日本で、「立法」が機能していれば、膨大な国の負債を抱えることもなく、無駄な社会コストを削減し、削減されたお金が、成長投資に回る社会構造ができていれば、現在とは、全く別の社会になっていたと思います。
 
 「社会構造は法制度によって作られる」現実を踏まえ、「法制度を、どう整備すべきか」という議論ができる社会になる前提ですが、自立した「プロの政策集団」(官僚、政治家、学者、シンクタンク、ジャーナリスト)が必要だと思います。

 政策立案者が、年功序列で終身雇用のサラリーマンでは、自由に意見も言えないでしょう。
つまり「プロの政策立案者」の人材流動性が高く、政権が変わると、官僚も大きく入れ替わるような社会でないと、そういう人材は育たないでしょう。

現状は、不毛感を感じているエリートの方々も多いのではないでしょうか。

 就職先で、官僚の人気が無くなるのも分かる気がします。
 
 我こそは、真の政策立案者と思う人、誰か、なんとかしてくれ~ 

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