今は、解散して存在しない建設コンサルタントに勤務していた時代の話です。

(こちらの記事も参考にどうぞ。「子会社の建設コンサルタントの悲哀1

中部支社より、別の支社に転勤して1年目の秋ごろでした、年度末の納期にむけて、業務実施にいそしんでおりました。
今年度は、今の業務をきっちり納めれば私の担当する業務売上3500万超え、利益も達成できそう、このままなら、あまりきつくない年度末を迎えることができるかなと考えておりました。

その時、部長より、「補正予算発注で、中部の○○国道の1億超の設計業務受注したので、担当をやってくれ」という話が来ました。

当然私は、「もうすでに売上、利益とも、ノルマ以上投入されており、納期に向けて余裕がありません」と拒否しました。

部長:「○○支店の売上になる。頑張れ!」
私:「だから無理です。どうやってやるんですか?」
部長:「頑張れ!」
私:「じゃあ、現在の手持ち業務、誰か別の人に代わってください」
部長:「それは無理、頑張れ!」
とにかく、頑張れしか言いません。

その後、中部支社のお世話になった上司より懇願され
「もう○○国道には、お前が担当の旨伝えたから、名古屋にマンスリーマンションも借りたから頑張れ!」
ということで渋々了承しました。
そして、
私:「今後、○○支店で仕事が取れても私には投入しないでください。」
部長:「それは、無理。 頑張れ!」

「頑張れ!」だけ言っていれば給料もらえるのだから、良い仕事だな~と思っていました。

それで、私はどうやったら、業務をスムーズにこなせるか必死に考えて、業務をなんとか回しました。やればできるもんです。

当時はきつかったですが、今にして思えば、やってよかったです。そこで得られた経験は本当に貴重でした。
金額が金額なので、利益も相当なものになりました。

そして、会社が私に特別ボーナスをくれるというのです。
絶対に誰にも言わない条件つきで、秘密の特別ボーナス、その額、3万! いや~ありがたくて涙がでてきました。

その時は、毎年10兆円規模の補正予算が組まれていた時代から、急激な建設投資縮小に変わり始めていた時代でした。

本当は、その年は赤字決算になる予想だったのですが、その業務利益おかげで逆に数千万の黒字になりました。

その会社は、その後、不況にあえぎ、最後は経営破たんし解散するのですが、実は、その時、会社消滅への破局の序章が始まっていたのだとおもいます。
この業務のせいで、経営改善への取り組みが遅れてしまったことが、会社消滅まで至った要因の一つだったのではと考えています。

(こちらの記事も参考にどうぞ。「解散する建設コンサルタントに最後まで残った人の話」)

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