経営改革提案でひどい目にあった話」のその後になります。
若手による経営改革提案は、受け入れられず、逆にバッシングを受ける結果となってしまいました。
建設コンサルタント生活の中で、唯一、人間関係のドロドロしていた2年間の始まりです。

私は、もともと生意気で、理屈っぽいことで社内では通っていて、上下関係や礼儀にこだわる人には嫌われていたのですが、それにさらに火がついたような感じで、同調する人が出てきて、いや~まいったな~という感じでした。ほとんど接触したことのない社員が敵意むき出しだったり、仲の良かった同僚が急によそよそしくなったり、社内の反感が体感できる不思議な感覚でした。
経営改革提案(BPR)のメンバーだった若手までバッシング側になっているのには笑えました。
流されやすい人っているものです。

私の場合、仕事はできるけど、口八丁手八丁のようなタイプの人とは妙に馬が合います。同僚、部長クラスにも、そんな感じの、一緒に業務で修羅場をくぐった戦友のような人も何人かいて、なんでも言える関係にあったので、気まずい職場の空気はあまり気になりませんでした。

また、後輩が、こんなこと言われていると教えてくれるので、何が言われているかは情報が入ってきました。本当にいい年したおじさん達が、しょうもないことするものです。

ただ、経営改革提案は、ここで諦めたら会社は破滅です。
ここで第二ラウンドを開始することにしました。

元々、経営改革提案は、ある部長が社長公認で若手を集め、私が若手リーダーとなってまとめたものです。
第二ラウンドは、私がついた部長による社長への直接提案です。
内容を技術部門だけに絞り、より詳細にしました。

具体的には、「内製部(社内外注)の設立」、「管理業務の管理部への集約」、「管理職の直接業務復帰」、「業務の実質管理責任者の明確化(部の管理者、管理技術者など管理責任が重複分散し、打ち合わせ同行してコスト負担になっており、また実質誰も管理責任を取らないため)」、などです。
具体的な組織図まで付けて即実施可能なものとしました。

管理職を日常管理業務から解放し、直接業務復帰し、若手中心で社内外注となり、社外流出を抑制する案で、理論的には、数億くらいは社外流出を抑えることができるはずで、リストラも避けることができます。
コスト削減は消極的で、痛みの伴う厳しい方法ですが、とにかく、まず生き残ることを目的とした案でした。

ただ、社長はボトムアップ主義で、自分で決めることはしません。部下同士を競い合わせて、結果を見ることを主としています。
この時も、もう一人の部長に経営改革提案を要求しておりました。
部長同士の一騎打ちの様相を呈してきました。

対立側の部長の提案作成には他の部長が多く関与しておりました。
一方、私側の提案は、私がついた部長と私だけです。

対立側の部長の提案は、「プロポで勝って売上増大(プロポーザルへの積極的挑戦)」、「技術力強化のために管理職は管理専従(実務作業はやらない)」、「全業務打ち合わせに管理職同行、管理職が若手を指導し、効率を上げる」といったものでした。
売上が年々減少しているこの時期に、なんというか、根拠のないイケイケの売上増大戦略でしたが、プロポは制度的に提案点以前の企業や実績評価点で勝てる見込みがなく、また管理職が管理専従したら管理コストも増大する上に、若手の手は空かないので外注費削減は困難です。
ただし、管理職は、より実務をしなくてもよくなり、痛みがありません。

そして、対立側の組織図の案をみて驚愕しました。なんと、私のついた部長の名前が組織図のどこにもないのです。
私側の提案では、対立側の部長は現状レベルの地位としていたのですが。。。

もし、対立側の経営計画案が採用された場合は、組織図案に名前がない、私のついた部長はどうなるだろうか?

その時に、私個人の考えの甘さを感じました。
これは、会社存続のための経営改革提案ではなく、権力闘争であり、相手は完全に首を取りに来ているということに気が付きました。

そして、社長に経営改革の提案を行いました。
対立側の部長の案には、他の部長も多くが関与し多数決では絶対に負けるでしょう。しかし、いくら、ボトムアップ主義で、部長の合意形成重視とはいえ、理性的に会社存続を考えたら、私がついた側の案しかないだろう、と考えておりました。

その2につづく

「建設コンサルについて考える」新着記事