私が新卒から10年以上勤務していた会社、もう今は解散してなくなってしまった建設コンサルタントは、難しい業務が来ると逃げてしまう人が多い会社でした。

私は、道路部に所属しておりましたが、その会社は橋梁関係が強く、道路部門はあまり技術力がありませんでした。

しかし、私が入社したころから、国交省等の大きな業務も受注できるようになりました。
私が、入社二年目からついた上司は、頭が切れて、勢いのある人で、積極的に挑戦するタイプの人だったので、国交省の業務はその上司が担当することが多かったのですが、下についている私も必然的に、国交省の業務が中心になりました。
当時は、建設不況以前で、毎年何兆円もの補正予算が組まれるような時代でした。
上司は、部下にどんどん任せるタイプだったので、私も積極的に関与し、入社二年目から国交省の物件の実務全般を悪戦苦闘しながらやっていたものです。
そして大型物件や難しい業務などが取れると、上司と私のチームに投入されることが定番となってしまいました。
もうこちらが、手持ち業務多くなりすぎで、手一杯状態になってしまって、他の道路技術者に回そうとしても、大型案件や難しい業務であると、みんな逃げちゃうんですね。

また、無理やり、他の人に振ったこともありますが、結局、めちゃくちゃにした上に、業務途中で投げ出してしまって、敗戦処理をやらされるはめになることが多くて、会社としても、大きな業務、難しい業務が来ると、上司と私の二名にやってもらうしかなくなってしまいました。

なぜ、難しい業務から逃げるようになったかと言えば、その会社は、大企業の関連子会社であり、やってもやらなくても、評価も収入もあまり変わらないので、社風として逃げたもの勝ちの文化になってしまっていたと思います。
自主勉強する人も少なく、技術士への挑戦意欲も低くて、私が若いときは、技術士に挑戦していることをからかわれたものです。
のんびりしていて、良い会社ではあったのですが。

そして、大きな業務、難しい業務が取れるとみんな逃げちゃうんですね。
逃げる時は、馬鹿なふりをして、俺には無理などと素直なのですが、いざ逃げ切ってしまうと、自分の実力が低いとは全然思っていないような態度です。

同じ時間を会社で拘束されるなら、より難しいことに挑戦した方が面白いし、能力向上や実績になると思うのですが、そういう考えの人は少なかったです。

そのため、私は機会に恵まれてどんどん経験を積むことができました。当時は、その地整での目玉事業の設計や、専門誌に紹介されるような業務も担当で経験が積むことができました。
もし、大手コンサルに新卒で入っていたら、三流大学卒の私には、とてもそんな機会は回ってこなかったように思います。
おかげで、午前中に経験論文があった時代でも30代前半で技術士を合格することもできました。

私がその会社を辞めた後、会社のホームページがリニューアルされて、道路業務実績を挙げていましたが、それが、全部私が担当した業務であり、「もうやれる人いないだろう」と突っ込みをいれたくなりました。

「建設コンサルについて考える」新着記事